米谷健+ジュリア(アーティスト/百姓)
聞き手/常井健一(ノンフィクション作家)
豪州から日本に拠点を移して以来、国内のアートシーンで異彩を放ち続ける。
辺境に暮らしながら感じる〈政治的な不安〉を創作の原動力としてきた二人。
美しさと不気味さが共棲する世界観に、気鋭のノンフィクション作家が迫る。
――今回、お二人から「聞き手」のご指名を受けました。普段は政治分野の調査報道をしているので、現代アートは門外漢なのですが。いいんですか?
米谷ジュリア(以下、ジュリア) はい(笑)。10年以上前に初めてお会いした時に、常井さんの取材方法が印象に残りました。ネットから情報を拾ってくるだけでなく、実際に現場を歩いて、当事者にとことん聞き取りして、一次資料も掘り返す。五感を使って作品を書き上げるプロセスは、とても本能的で、私たちのアートに似ています。
米谷健(以下、健) それに、そもそも現代アートは政治色が強いしね。アート業界に閉塞感を感じているからこそ、新鮮な対話を求めて、まったく別の業界の作家にお願いしました。
――お二人は我々の現実世界を取り巻くあらゆる不安を糧にして、メッセージ性の高い作品を次々と生み出してきました。黙示録的で、ジャーナリスティックでもあり、私もインスピレーションをもらってきましたが、どのような思いが創作の出発点になっているのでしょう。
健 うちらはかなり神経質なんです。いろんなことを極度に心配しがちで、呑気に生きていられる人を見ると、気楽でいいなとうらやましくなります。
――今どきの言葉で表現すると「繊細さん」。いろいろ気がついて、疲れてしまう現代人の病ですが、不安はあらゆる学問や宗教、文学、あるいは科学やビジネスの源泉でもあり、それに向き合うことは我々物書きにとっても大事な要素です。それをお二人は作品に昇華させてきました。
健 環境破壊、食糧危機、世界経済の崩壊、戦争、ハイパーインフレ……と、そんな世紀末的未来像を夢想してきました。
2009年のヴェネチア・ビエンナーレ豪州代表に、奇跡的に選ばれた時の作品(*スイート・バリアリーフ:豪州で発生している珊瑚の白化現象が、近年の地球温暖化に加え、砂糖産業で使われる農薬と化学肥料に起因するという研究をもとに制作した立体作品)もそうなのですが、良くも悪くも、自分たちが夢想して作品にして訴えたことが、まもなく現実世界に投影され、実際に大きな社会問題になっています。
まあ、「引き寄せの法則」ってやつですかね。自分たちの不安が起爆剤になって、今まで未来への警告的な作品を出してきましたけど、最近はイマジネーションに輪をかけた形で現実世界に表れるので、もはや警告している場合じゃないな、と。諦めにも似たような感情を抱いています。

「あの日、世界は変わった」
――2022年現在、気になっている「政治的な不安」とは。
健 かつて私が金融ブローカーをやっていた頃(*アジア通貨危機があった90年代後半)、大手投資銀行が大博打の狂乱にふけっていて、後年、その尻拭いは公的資金によって行われました。当時は「これじゃ、いずれ世界が崩壊する」と思ってましたが、案の定、25年後の現状はこのありさまです。
近年では、死に体になった金融市場の延命策として、世界中の中央銀行が量的緩和政策に踏み切りました。大量にお金をばら撒いたから、当然、物価は高騰します。
そしてCO2を大量に出し続けてきたツケで、地球環境もボロボロで、気温も年々グッと上がってきています。今年は百姓を始めてから7年で最も暑くて、農作物はうまく育ちませんでした。
拝金主義にひた走る人類の所業の結果なんでしょうけど、童話の『アリとキリギリス』だったら、自分たちはアリなんだろうなと自負しながら、京都の山奥で2万5千平米の田畑をせっせと耕し、じっとり汗水を流していますよ。
ジュリア 物価高のリアリティは、アート活動を通じても感じています。今年6月にオーストラリアの美術館に出展するために、小ぶりの作品を航空便で送ったのですが、300万円もかかりました。軽く従来の2倍くらいかな。
健 8月にオープンしたうちらのアートハウス(*ドリームズアートハウス、京都府南丹市)をつくる過程でも、資材高騰のリスクに直面しました。限界集落の廃墟を再生して、家一軒を丸ごと作品にしたのですが、そこでも私の妄想が働いて、建材を早めに確保しておいたので、被害が最小限度に抑えられた。

歴史を振り返れば、経済システムが崩れだすと、次は戦争。実際、ウクライナ戦争が起きました。今後気になるのは、ハイパーインフレで現行通貨が紙屑化し、デジタル通貨とワクチンパスの義務化で超管理社会という運びになって……。おっと、またもや妄想が。
――妄想(笑)。お二人にとって、「世界が変わった」と感じた大きな転機はいつですか。
ジュリア 2020年3月20日ですね。オーストラリア政府はコロナウイルスの感染拡大を受けて、非居住者と外国人が入国できないように国境を封鎖して、海外にいる同国民に対しては、できるだけ早く帰国するよう強く勧告しました。やがて、国内の移動も制限されて……。
かなり厳重なロックダウンが断行されたのですが、異議申し立てを行う市民に対しては、これまでにない厳しい検閲や抑圧を行いました。今までこんなことなかった。
人類が時間をかけて獲得してきたあらゆる自由が、完全に建て前になってしまった感じです。私はもともと歴史学者でしたが、数百年後の未来に歴史書を書くとしたら、「2020年3月20日」を西洋社会が民主主義から管理社会へと移行した日に位置付けるかもしれませんね。
「宇宙人と会話しよう」
――「あいちトリエンナーレ2019・表現の不自由展」では、政治的な動機から芸術祭の運営を妨害する者が現れました。表現の自由が侵される、芸術家が身の危険にさらされることで、発言や活動がしにくくなるという出来事が世界で相次いでいます。このような風潮は、お二人の活動や創作意欲にも影響しますか。
健 自分たちも検閲に引っかかったことがあります。上海で展示予定だった原発問題をテーマにした作品(*クリスタルパレス:万原子力発電国産業製作品大博覧会)が、公開の2週間前に外されました。
検閲は作家への勲章だと思っています。展示されなきゃ話になりませんが、炎上って皮肉にも集客に繋がりますよ。出不精の自分たちもあの作品を一目見ようと、愛知まで足を運んで、くじ引きの大行列に並びましたから。結果はハズレでしたが(笑)。
うちらにとっては、SNSの炎上リスクより、SNSそのもののほうがよっぽど怖い。無料だからといって検閲バリバリの言論空間にハマった人類が、気づかぬうちに「管理社会のヒツジ」になっていくんだから。

――ベクトルが逆のような話ですが、SDGsが話題です。最近では人権やジェンダーの意識が高まる一方で、表現者たちにとっては芸の幅が狭められてしまうという懸念もあり、また別の論争を生んでいます。
健 アートでも人権、ジェンダーって流行ってますよ。ひと昔前に流行った「ポストコロニアリズム」の続きなのでしょうが、自分は静観してます。このようなモードが意図的につくり出されている気さえしますね。
道徳的にないがしろにできない問題だけに扱いが難しい一方で、他の問題を隠すための「目くらまし」に使われている感じもします。人権、人権と言っておきながら、コロナ禍の過剰な規制で人権や自由なんてとっくに吹っ飛んでいますよ。
完全無農薬で農業しているとわかるのですが、声高に「正義」を標榜しているグローバル企業ほど、大量の農薬を散布してつくった野菜や果物を使った食品を平気で売っている。農薬は動植物の命を奪い、生物多様性を破壊するだけでなく、人間の健康をも害しています。「本当に大事なことが、正当に扱われてますか?」って。
ジュリア だから、その泥仕合に飛び込むのはちょっと……。アートが「正義」をあまりにストレートに扱ってしまうと、特定の物語やイデオロギーを押し付けるための手段のひとつになってしまうんです。その根底には屈折した被害者意識だったり、利己的な傲慢さが潜んでいたり。
そんな泥沼に飛び込む時間があったら、空を見上げて、宇宙人と会話していたほうがいいですよ。アートは人間を不安や欲望から解き放ち、魂、他者、宇宙とつなぐ力があると信じたい。
なぜ田畑を耕すのか
――ところで、農業と芸術、どちらが本業で副業?
健 さあ、どっちなんでしょう?
そもそも百姓の語源は、「百の姓(名字)を持つ」。あまたの職を持つという意味なんですね。つまり、なんでもできるのが百姓であって、芸術家とも言えるんじゃないでしょうか。だから農家と言われるより、百姓と言われるほうが心地良いですね。
――私みたいなライターは副業を始めることに臆病で、ある種の「敗北感」みたいなものも抱いてしまいます。やせ我慢することがプロ、みたいな勘違いが内面化されていて情けない。
ジュリア そう言われると、農業と芸術が別物のように聞こえますけど、農業は私たちにとって一種のアートプロジェクトなんです。思索する時間と空間を与えてくれます。11年前に「五感」という作品も制作していますが、私たちの知識は五感と「第六感」を通して得られます。畑は私にとっての哲学教室です。この対談も、秋野菜の準備をしながら何を話そうか考えていました。どうやったら、これを読んでいる人に有機堆肥の香りを送り届けられるかな、と。
――なるほど、土の香りがする芸術家(笑)。政界では「土の香りがする政治家」というものが少なくなった頃から、有権者とのつながりが希薄になり、庶民の生活感覚から乖離した政策が「改革」の美名の下で、もっともらしく乱発されるようになりました。
ジュリア 私は作品を通じて、消費と生産の間など、行き過ぎたグローバル資本主義の中で切り離されてしまったプロセスを再びつなげようと試みたいんですよね。たとえば、電気をつけるとき、そのエネルギーがどこに由来しているのか。普通だったら考えないで済むでしょう。食べ物も、もちろんそうです。土づくりから農作業をやってみると、人間としてまったく異なる視点が発見できるのです。
健 まったく同感だな。畑は「道場」であり、百姓は人前で披露しない独りアートパフォーマンスだと思います。アーティストと兼業することで、業界の重圧感からも解放され、心身ともに鍛えられましたよ。

――我々の世界では、業界の論理でややもすれば「食うための言論」に陥ります。お二人は「食うための芸術」から自由になれていますか。
健 うーん……。
ジュリア 常井さんはフリーランス・ライターですが、「フリーランス」の語源はご存じですか?
――中世ヨーロッパの傭兵、ですよね。
ジュリア そう、「ランス」は槍という意味です。本来は「自由に槍を突ける人たち」を示すはずですが、実際には傭兵。誰かにお金をもらって、雇われた兵士のことなんですよね。つまり、中世の頃から「自由」という認識を構築しているシステムは矛盾をはらんでいて、現代ではその「自由」の概念は完全に崩壊していると思います。
今はかつてないほど、富と権威が少数の人々に集中しているので、アートの「傭兵」を雇う側はごく限られています。芸術でも「マーケット」という言葉が平気に使われて、グローバル・エリートが影響力を持っていて、しかも退屈です。
――出版界では、作家と一緒にスクラム組んで権威に立ち向かってくれる、胆力を持った編集者が見つけにくくなっています。お二人の場合だと、相手がキュレーターになるのでしょうが、業界の雰囲気はどうですか。
健 現代アートは、ポリティカルなメッセージを込める場合が多く、トラブルはつきものです。ただ、政治的に危うい作品が選ばれるか否かは、キュレーターの信念と度胸にもよります。社会の閉塞感が強まれば、無難に仕事をこなそうとするキュレーターが増えるんですよ。芸術家なんて無職のようなものですが、キュレーターは雇われの身。クビが飛びますから。
ただ、業界のポリティクスは複雑で、大富豪コレクター、スポンサー企業、美術館関係者、ディーラー、そして、底辺に芸術家というヒエラルキーがありますので、そういった構造の中で好き勝手にポリティカルメッセージを込めた作品がもてはやされるかというと、そう簡単ではありません。
「国際芸術祭」ってどう?
――芸術家とそれを見るファン、間をつなぐキュレーター。さらに、複雑な上下関係が水面下にある。現状のシステムに満足していますか。正直、アホらしくてやめたくなりません?
健 うーん、核心をつく質問(汗)。やめたくなったので、百姓やったり、「循環型完全オフグリッドアートハウス」の施工に没頭したりと、他の可能性を探ってますよ。
ジュリア 以前はもっとイライラしていたのですが、案の定、アート業界含め様々なシステムが崩壊しているような気がして。だから、今回はこの展覧会(*国際芸術祭BIWAKOビエンナーレ2022)に参加できることを本当に感謝しているんです。
だって、いつまで続くんだろうと思って(笑)。こんにち、大規模な国際展覧会が成立すること自体、タイタニック号が沈んでいく前の船内でオーケストラの演奏に聴き入るような、なにか詩的なものを感じます。

――私は「国際」という言葉に無力感を抱いています。ウクライナ戦争やパンデミックを前に、国際機関はなすすべもなかった。日本で行われた世界最大級の国際的イベント、東京五輪にいたっては、政財界人の汚職が相次いで、「国際的クリエイター」と呼ばれた人たちも次々と退場していった。今ほど、「国際」と名がついたパブリックな事業が輝きを失っている時代はないと思います。そんな中、「国際」の「芸術祭」を行う意義はなんなのでしょう。
健 日本人って「国際」という言葉が大好きですよね。とりあえずくっつけると、観客動員数が伸びますから。それは排他的意識の裏返しなんじゃないかと思ってしまいます。コロナ後の世界では、それが浮き彫りになりました。
日本はいまだに世界の潮流に遅れ、外国人観光客はツアーだけしか入国許可が下りません。「国際芸術祭」って言っても、外国人はどう呼ぶんだろうって感じです。世界的に作品の輸送コストも上がり、国際展示が難しくなっています。見通しは厳しいですね。
ジュリア いくら美術館側が輸送代を負担してくれるといっても、向こうだって経営が苦しいので、そんなにお金がかかる展示会を続けること自体が無理になってしまいます。
――すると、島国のアートは世界から孤立していく……。
ジュリア 日本人が使う「国際化」って、私がよくオーストラリアと行き来するようになった1990年代から矛盾に満ちていると思ってきましたが、今ではよそ者を排除して、自分たちのルールを完璧に守れる人間だけを社会に受け入れる感じになってきて。国際化そのものを断念する傾向すらあることが残念です。私は見るからに「ガイジン」なので、そういった日本社会の目に毎日のように脅かされています。
日本に来るようになって30年くらい経ちましたが、30年で最も不安に感じていますね。だから、アートを通して、少しでもその雰囲気を揺るがしたい。
――期待しています!
2022年9月
*この対談はBIWAKOビエンナーレ2022カタログに掲載されたものです。